東京?パリパラリンピックで、はじける笑顔で奮闘し、競泳平泳ぎ100mで入賞した宇津木美都選手(現在大学院博士前期課程1年)。2大会連続出場の背景には、大阪体育大学水上競技部女子監督の浜上洋平准教授(体育科教育学)との、仮説をデータで実証し2度のフォーム改良を実現した科学的な練習があった。浜上准教授の指導の軌跡を、スポーツ科学部スポーツ教育コース発行のコーチング研究誌「櫂(かい)」から紹介する。
スランプ脱出に向けたフォーム改良の試みとその成果
―東京2020?パリ2024パラリンピックまでの歩み―
女子水上競技部監督 浜上洋平

浜上洋平准教授
1. 宇津木美都選手を大阪体育大学水上競技部に迎え入れるまでの準備
宇津木選手のパラ水泳デビューは2016年、彼女が13歳の時である。そのわずか1年後には世界選手権の日本代表として選出され、50m平泳ぎ(SB8)ではアジア新記録を樹立した。翌年、15歳で臨んだアジア大会では初出場?初優勝を果たす。その頃のレース映像を見た印象は、「華奢な体型の利を生かしたハイテンポなストロークで泳ぐタイプの平泳ぎスイマー」というものであった。女子選手の中には第二次性徴前の軽やかな身体で高いパフォーマンスを発揮する選手も少なからず存在する。当時の彼女の泳ぎからもそのような印象を受けた。少なくとも、22歳現在の「高い筋力と長いストローク長を生かした柔軟なフォーム」とは別人の泳ぎに思えてしまうほど異なるスタイルであった。
突如、パラ水泳界に彗星のごとく現れた宇津木選手は世界的にも一躍注目されるようになり、今後の活躍が確実視される存在にまで駆け上がった。しかし、その後、長く深いスランプに陥ることになったのである。
彼女の競技人生の歯車が狂い始めたのは中学校3年生から高校生にかけての期間である。今振り返れば、第二次性徴による体型の変化に伴うフォームの見直し?改良がされないまま、とにかくトレーニングメニューをがむしゃらにこなすことで得られるトレーニング成果に頼る日々であったという。高校進学とともに練習量が増加し、全身持久力や筋力をはじめとする体力要素の各スコアは軒並み向上したものの、肝心の平泳ぎに関してはどれだけ頑張って泳いでもレースタイムの低下を食い止めることができなかった。高校2年生時には、中学校2年生時に記録した当時の自己ベストタイム(1’26”06)から12秒以上遅いタイム(1’38”25)にまで落ち込んだ。コロナ禍(宇津木選手が高校2年生冬~高校3年生夏の時期)も相まって、彼女はスランプから抜け出せないまま高校卒業を迎えることとなる。
大阪体育大学入学直前の3月、私は彼女のトレーニングプランや指導方法を検討するための情報収集を目的として、彼女が当時在籍していた京都文教高等学校の水泳部監督?宇野慎也先生とパラ水泳日本代表チームで長く指導していただいていた岸本太一ヘッドコーチに連絡をとった。奇しくも宇野先生は私が学生時代に所属していた筑波大学水泳部競泳チームの4つ上の先輩、岸本コーチは4年間の時間をともに過ごした同期の間柄であったため、彼女のこれまでのトレーニングプロセスや心境の変化を含めた人間性などについて、かなり詳細な情報を収集することができた。これらの情報がなければ、大学入学後の急激な復活を果たすことは難しかったのではないかと思う。宇野先生、岸本コーチにはこの場を借りて感謝申し上げたい。
2. 東京2020パラリンピック出場への一縷の望みに賭けた
スカーリングストロークの徹底
大阪体育大学女子水上競技部の部員として新たなスタートを切った宇津木選手に今後の目標を訪ねた際に「東京パラリンピックに出たい」と即答されたことは今でも鮮明に記憶している。パラスポーツ界の頂点ともいえるパラリンピックが自国開催されることの重大性について、私自身あらためて気付かされた瞬間でもあった。
コロナ禍の影響により、本来高校3年生で迎えるはずだった東京2020パラリンピックが大学入学直後の2021年8月に開催されることとな